mto

mto   mto

mto

1.

2. クッション

例文;
Mto huu haupitiki kwa sababu ya maji mengi.
この川は、水が多くて渡れない

Mama alinishonea foronya ya mto.
お母さんは私に枕カバーを縫ってくれた

寝るときの枕とソファなどに置くクッションは、同じ mto で表されます。

枕は、他人様のお家のものを見る機会は少ないですが、クッションは、お邪魔したときなどに目にします。

刺繍したものや、かぎ針編み、パッチワーク、あるいはただの袋
でも、みなさん家の中を飾るのは好きなようで、テーブルクロスやソファーカバーなど、自分で作ったり買ったりして、楽しんでいます。

刺繍のものは中国製が多いですね。ケニャ製のものは、観光客用で、逆に高かったりします。 中国製だと、結構凝った刺繍(でもミシン刺繍)のものでも、安値で手に入ります。

かぎ針あみのものは、近所の人のを請け負って編んでいるという人もいるようで、私がするレース編みの柄は、そういう人にも人気でした。
日本のように手軽にレシピ本が売っていない、あるいは輸入本で非常に高価と言うこともあって、たいていは真似て編む、という感じでした。

 

leo; sasa

leo; sasa

leo; sasa

leo今日 を意味します。

sasa を指します。

例文;
Leo sikuenda shuleni kwa sababu ya homa.
今日は熱のせいで学校へ行きませんでした。

Baba atarudi sasa hivi.
父はすぐに(今すぐにも)戻ってきます。

上の例文で sasa hivi たった今 というのがでていますが、  今日を強調した言い方で leo hii hii というのもあります。

日本語にするとなんていえばいいか、、、。
なかなかこれだけを「たった今」のように言い表せませんが、、、。


例えば、もっと以前に来るはずだったのに、やっとこさ今日来た。あるいは、(昨日以前ではなく)今日着いたんだ。そんな場合だと Amekuja leo hii hii.

日本語でこの”今日”を強調した言い方って思いつかないのですが  意味は判って頂けますよね。 (^^ゞ

 

fuata kama simba anayenyemelea windo lake

fuata kama simba

fuata kama simba anayenyemelea windo lake

獲物を狙うライオンのように後を追う ということで、こっそりと後を追う という意味です。

例文;
Mwizi alimfuata polepole kama simba anayenyemelea windo lake.
泥棒はこっそりと彼の後を追ってきた。

ここの polepoleゆっくり というよりは、大人しく静かに みたいな感じですね。

日本もひったくり被害が多いようですが、東アフリカも、やっぱり多いです。
泥棒にあったときは、諦めて、抵抗せずに金品を渡してしまうのが得策です。

 何年か前にナイロビで、泥棒に携帯電話を取られたある資産家が、携帯電話が惜しいわけではなく、その中のアドレスなどのデータが欲しくって泥棒の後を追って、結局殺されたというような事件もありました。

怪しげな人につけられている気配を感じたら、お店に入ってしまいましょう!

 

2012年11月28日 | カテゴリー : 比喩表現 | 投稿者 : nyamburra

funga safari

funga safari

funga safari

旅に出る、あるいは 旅支度をする旅を予定する というような意味です。

例文;
Hamisi amefunga safari ya kwenda Nakuru.
Hamisiはナクルへ旅立った。

funga閉じる閉める というような意味があるので、一瞬、旅を終えるのかなと思ってしまいがちですが、旅を始めるという意味ですから間違えないように

 

2012年11月27日 | カテゴリー : 慣用句 | 投稿者 : nyamburra

Kuliko

Kuliko

Kuliko

何かに比べて度合いが高い、あるいは深いなど、進んだ状態を指すときの ~よりも という副詞です。
比較の言い方は他にもありますが、この kuliko が覚えやすいし、使いやすいと思います。

例文;
Damu ni nzito kuliko maji.
血は水よりも濃い。(ことわざ)

Mimi ni mrefu kuliko Kamau.
私はKamauよりも背が高い。

考えてみれば、会話の中で「~よりも」と比較する機会はよくありますね。
そのせいか、割と皆さんよく覚えている単語です。

どの単語もこのように分かりやすいと助かるのですが 

 

kusanya; okota

kusanya   okota

kusanya; okota

kusanya は、人や物を 集める

okota は、拾う拾い上げる

例文;
Nilikusanya nguo zangu nikazipeleka kwa dobi.
私は服を集めて洗濯屋へ持って行った。

Niliokota noti ya shilingi mia moja barabarani.
私は道で100シル札を拾った。

床に散らかった服を集める場合は kusanya で、落ちていたものを拾い上げるのは okota ですね。

ホームレスの子どもなんかが沢山いて、ごみを拾ったりしているのですが、そういうのは anakushanya とも言えるし anaokotaokota とも言えます。

 

enye bidii kama mchwa

enye bidii kama mchwa

enye bidii kama mchwa

意味は、シロアリのように働き者

これと全く同じ意味で siafu アリバージョンもあります。

アリとキリギリスのお話にもあるように、”アリは働き者” として喩えるのは納得できるんですが、mchwa ってねぇ。

例文;
Wajapani ni wenye bidii kama mchwa.
日本人は(シロアリのように)働き者です。

シロアリは、実はアリの仲間ではなく、ゴキブリと近いそうです。

アリ塚

アフリカに旅行なさった方は、大きなシロアリ塚をご覧になったことがおありと思います。
また、うち捨てられたものにマングースなどが巣くっているのをご覧になったことも。

雨期の頃に、羽化したシロアリをご覧になった方もいらっしゃるでしょうねぇ。
街灯や、家の周りの明かりなどにつられてたくさん飛んできます。家の中にも入ってくるので大変です。
地面に落ちるとまもなく羽がとれて這い回るのですが、本当に迷惑な虫です。

このハネアリで、とくに kumbikumbi と呼ばれる大型のものは、地域によっては貴重なタンパク源にもなっているようです。

 

2012年11月24日 | カテゴリー : 比喩表現 | 投稿者 : nyamburra

moja kwa moja

moja kwa moja

moja kwa moja

真っ直ぐに、ストレートに という意味です。

例文;
Walipotoka shuleni walirudi moja kwa moja hadi nyumbani.
彼らは学校を出て、家まで真っ直ぐに戻った。

スワヒリ語を勉強しはじめた頃、教えてくれる人もなく、幾冊か手に入れた本はそれぞれに違うことが書いてあるし、、、。  それでもこつこつ勉強していました。

そんなある日、届いた手紙に書いてあったのが moja kwa moja。
一つ kwa 一つだから 「一つずつ」かなと思ったのですが、でも前後と意味がつながらないし、、、。

moja moja一つずつで、moja kwa moja真っ直ぐ とわかったのは、その次ケニャへいった時でした。

最近は慣用句の辞書なども出ていますが、当時はなかったので、慣用句には苦労させられました。

 

2012年11月23日 | カテゴリー : 慣用句 | 投稿者 : nyamburra

kisha

Kisha

kisha

それからその後 という意味ですが、更に という意味でも用いられます。

例文;
Alikula chakula kisha akaenda kulala.
彼はご飯を食べて、それから寝に行った。

Alimpiga mwizi ngumi, kisha akampiga kwa bakora.
彼は泥棒を拳固で殴り、更に杖で打ち据えた。

「それから」というのはよく出てくる言葉です。

英語の and にあたる na で接いでも意味は通じますが、時間の経過を伴う ~して、そして~して のような表現では、この kisha を使いたいですね。

 

mkubwa; mzima

mkubwa; mzima

mkubwa; mzima

mkubwa小さくない体躯の持ち主

mzima は、年齢的に成熟した人

例文;
Mbwa wangu ni mkubwa sana.
私の犬は大きい。

Mawazo ya Juma si ya mtu mzima.
Jumaの考えは大人のものではない(子どもっぽい、大人げない)

Mawazo ya huyu moto ni ya mtu mzima.
この子の考えは大人の考えである(大人っぽい、しっかりしている)。

社会的な地位が上の人を指すときの mkubwa は別として、”大人“としての表現は mkubwa ではなく mzima を使えばいいんだなってことが分かっていただけるかなと思います。

A子ちゃんとけんかしてるB子ちゃんに、 「あなたの方が mkubwa なんだから」っていう風には使えますが、  夫婦げんかしてるCさん夫婦に向かって「wakubwa なのに」とは言えず 「wazima なのに、なによ!」っていう方が正しい、ということです。