mtu baridi

mtu baridi

mtu baridi;自分の感情をあらわにしない人

日本語の「冷たい人」というのは、人情味にかけた人、冷淡な人、つれない人を指しますが、微妙に違いますね。

例文;
Mtu baridi ni hatari maana huwezi kuijua hali yake.
感情を表さない人は危険だ、彼の状態を知ることが出来ないから

感情を押し殺すのではなく、見せないというのは、確かに怖いですよね。

たぶん、日本人が(勝手に)イメージする “アフリカ人”からは想像できないでしょうね、こんなタイプ。
でも、こういう慣用句があるってことは、そういう人がたくさんいるってことですよ。

「陽気なアフリカ人」というイメージ、ボチボチ替えてみませんか?

 

2013年2月27日 | カテゴリー : 慣用句 | 投稿者 : nyamburra

kula chumvi (nyingi)

kula chumvi

kula chumvi (nyingi)

長生きする/している という意味です。

動物に欠かせないお塩。長生きする人は、当然たくさん食べているわけですね。

例文;
Babu amekula chumvi nyingi kweli.
祖父は本当に長生きだ

舅は80代後半で亡くなりましたが、若々しい人でした。
初めて会ったときは70を過ぎていたのですが、60そこそこにしか見えませんでした。

長生きの秘訣を尋ねたら「お塩を食べないこと」って!
確かに食事にはお塩を入れないのですが、ミネラル分を取るのに発泡性のお薬というのか健康食品というのかを愛用していました。

だったらお塩にすれば良いのに。(^o^)ハハハ

 

2013年2月25日 | カテゴリー : 慣用句 | 投稿者 : nyamburra

la; tafuna

la   tafuna

la; tafuna

la 食べる
tafuna 咀嚼する、噛む

例文;
Sijala chakula cha jioni bado.
私はまだ夕食を食べていない

Tafuna vizuri, usimeze chakula!
ちゃんと噛みなさい、食べ物を飲み込まないの!

同じ 噛む でも、噛みつく ほうは ng’ata といいます。
蚊などの虫に噛まれるのも ng’ata です。

 

bana; bwana

bana  bwana

bana; bwana

bana 締め付ける、締める、押さえる、挟む

bwana 男性に対する敬称。英語の Mr.に相当します。

例文;
Viatu hivi ni vidogo vinanibana.
この靴は小さくてきつい

Bwana Pesamingi ni tajiri sana.
ペサミンギさんはとても裕福です

bwana は、男性に対する敬称ではあるのですが、知らない人に呼びかけるようなとき、若い人でなければ、Mzee! と呼びかけた方が無難です。
ウエイターさんなどに呼びかけるときも、年配の人ならmzeeの方がいいと思います。

また、女性に対してその人のご主人のことを話題にする場合、よほど若いご夫婦でない限り bwana よりも mzee の方がいいです。

むすめたちが5・6歳の頃、近所の人や使用人が夫のことを mzee と呼ぶととても嫌がりました。
Daddy si mzee, ni kijana! とか言って。(^o^)ハハハ

 

angua

angua_1   angua_2

angua

1. (果物などを)摘み取る/もぎ取る、(上にあるものを)降ろす/下ろす/落とす
2. 卵を孵す

例文-1;
Watoto wanaangua maembe shambani.
子どもたちは畑でマンゴーの実を摘んでいる

例文-2;
Kuku wangu ameangua mayai manne.
私のニワトリは卵を4個孵した

最初に Kuku wangu ameangua mayai って聞いたとき、ニワトリが卵を落とした と思ってしまいました。

その人のニワトリ小屋は、短い足がついた高床式(?)なのを知ってたので、隙間から落としたんだと思ったんです。

昔、神戸の町の真ん中でヒヨコを育てたりニワトリを飼ったりしていたので、ニワトリが、雛を孵さずに卵を捨てることがあるのを知っていたから、自分の中では話のつじつまがしっかり合っていたのです。

で彼女に Yamevunjika mangapi? って尋ねたら、大笑いされました。

夜になって夫にその話をしたら、anguaangushaanguka の違いを説明してくれましたが、何かを間違う経験って大事。
間違えながら覚えていけますものね。

といいつつ、普段は余り使わない 孵す という動詞は、忘れがちです。 (^o^)ハハハ

 

nuka; nukia

nuka   nukia

nuka; nukia

nuka 臭う、悪臭を放つ

nukia 匂う、よい香りがする、芳香を放つ

例文;
Wadudu hawa wananukia vibaya sana.
この虫(複数)はすごく臭い/すごい悪臭を放つ

Wanawake hupenda kujipaka mafuta yanayonukia.
女性はいい香りのするオイルをぬるのが好きだ

悪臭は、たいていの人にとって悪臭だと思うのですが、”よい香り”はくせ者ですね。

外国のエアーラインのお手洗いでは、時々「どんな安物の消臭剤」って思わせるような臭いが充満しているときがあります。
本人は気に入っていて、だから機内でも付け足すのでしょうが、周りは堪ったものではありません。

昔、スワヒリ語の後輩がダルに来たことがあるのですが、遠縁の家に連れて行ったとき、やってくれました。(>_<)

その家の女主人が香水をつけていたのですが、その後輩、お世辞のつもりで言ったのが;
Unanuka vizuri sana!

vizuri が付いていたから、そして彼女が日本人だから、女夫人は間違いとすぐ気づいてくれましたが、vizuri がなかったら、ちょっと怖かったかも。( ((-。-) ))ブルブル…

 

chukua; peleka

chukua  peleka

chukua; peleka

chukua 持ち去る

peleka 人や物を送る、運ぶ

例文;
Panya alichukua jibini wakati sisi hatupo jikoni.
私たちが台所にいなかったとき、ネズミがチーズを持ち去った

Walipeleka jibini nyingi mpaka badarini.
彼らはたくさんのチーズを港まで運んだ

微妙に差があるんだけれど、なかなか使い分けできない、そんな言葉かもしれませんね。

重なる部分があったり、話者の話癖で違う方を使う人がいたりして、混乱させられます。

基本的に、ある場所にあるものを 手にとって動かす のが chukua です。
行為の主たる目的は その場所から動かす ということですね。

peleka のほうは、ある場所からある場所へと動かす/移動させる ということです。
元あった地点ではない別の地点(明確な場合も不明確な場合もある)へ 移す というのが行為の目的になります。

 

Funika gubigubi/kubikubi

Funika gubigubi

Funika gubigubi/kubikubi

すっかり/すっぽり覆う というような意味の擬態語です。

例文;
Nilikutana na mama mmoja aliyekuwa amejifunika kanga gubigubi.
カンガですっぽり身を包んだ女性を見かけた

どこもかしこもすっかり覆っている状態なのですが、なかなかいい訳文が思いつきません。

日本語だとグビグビは、ビールやお酒なんかを、のどを鳴らして飲む感じですよね。

ケニャやタンザニアのコーストとの女性はbuibuiと呼ばれる衣装やカンガで全身を包んで外出したりします。

ドュバイやドーハの空港では、いろんなタイプの身を覆った服装(挿絵のような)の女性を見ることが出来ます。
民族差なのか、宗派によるのか、或いは貧富の差もあるのか、本当にいろんな種類があります。

顔面を覆うものも、御高祖頭巾のようなもの、マスクのようなもの、パーティ眼鏡のようなもの等、上手く表現できませんが、見飽きないほどたくさんあります。

個人的には、インド系のイスラムの女性の衣装が、可愛くて好きです。
色柄は自由で、長袖の足首まで覆ったワンピースにケープがついたフード、という形です。

 

Anguka chubwi

Anguka chubwi

Anguka chubwi

水の中にポトン/ドボンと落ちる、あの感じです。

例文;
Kigari cha mtoto kimeanguka majini chubwi.
子どものおもちゃの自動車が水にポトンと落ちた。

実際に使われるときの感じから判断すると、相当に大きなものがドッボーンと落ちる感じではないです。

でもこの表現、大人が、特に男の人が口にするとけっこう可愛いです。
音のせいだと思うのですが chubwi って言うのがね。

 

faa; vaa

faa  vaa

faa; vaa

faa役にたつ、ぴったりあう、便利である 等の意味を持った動詞です。。

vaa着る、(時計などを)身につける履く という意味の動詞です。

例文;
Shati hili linanifaa.
このシャツは私にぴったりだ

Msichana alivaa nguo nzuri na akaenda kanisani.
少女はいい服を着て教会へ行った

今の日本の子どもたちはいつもいいものを着ていて、別段「余所行き」が必要ではないですね。
でも、私が子どもの頃は、普段着と余所行きはしっかり別れていました。

そんな余所行きは、長く着られるようにと大きめなサイズを買い与えられることも屡々あったようです。
そうすると、最初の年には大きすぎて、次の年には小さすぎて、結局見栄えがしないことに。(>_<)

東アフリカでは今でも、日曜になると一張羅を着て教会へ行く子どもたちを見かけます。
ワンサイズもツーサイズも大きめな服は、見るからに教会行きという感じのドレスだったりします。

日曜に教会のそばを通りかかると、小さな女の子が「この服見て!」と言わんばかりの合図を送ってくることがあります。
ちょっとスカートをつまんで広げたりするんです。可愛いですよ。kao-nikkori