bubujika kama chemchemi

bubujika kama chemchemi

bubujika kama chemchemi
 
泉/噴水のように溢れ出る
 
これは分かりやすい喩えですねぇ。
 
例文;
Mfereji ukipasuka, maji hububujika kama chemchemi.
水道管が破裂したら、噴水みたいにお水が噴き出す。
 
断水や停電がよく起こります。
電気はまだしも、お水のないのは辛いですねぇ。
 
断水すると、井戸のあるおうちに貰い水に行きます。
そんなときに人にお水をあげるのを拒むと、後々大変ですから、いやがらずにくれるわけです。
 

ある時、丸4日間の断水というのがありました。
うちのお手伝いさんも、バケツを頭に乗せて、遠くまでお水を 「買いに」 行きました。
私は、お水を買うことになんの疑問も持たずにお金を持たせてやりました。
 
それからずいぶん後になって、私はお手伝いさんに騙されていたことを知りました。
 
引っ越していった先で断水があったのですが、ちょうどお手伝いさんがいなかったので、夫の車で近くの家までお水を貰いに行きました。
私たちはその家と懇意にさせてもらっているのでタダでくれるのは分かりますが、見ていると、他の人もお金を払っていません。
 
ここの人、親切ね。みんなにタダでお水をあげているわ、と感心する私に、夫は;
お水を売りつけたりしたらあとで爪弾きにされるから、どこの家でもみんなタダでくれるよ。

騙されたぁ

 

2012年11月11日 | カテゴリー : 比喩表現 | 投稿者 : nyamburra

kuwa nyoka na shimo

 kuwa nyoka na shimo

kuwa nyoka na shimo

ヘビと穴(巣穴) ということで、慣用句としては、いつも一緒にいる離れない という意味になります。
 
連理の枝みたいなきれいな表現なら良いのですが、ヘビってねぇ。

例文;
Yule mwanasiasa na profesa wangu wamekuwa nyoka na shimo siku hizi, wanaandamana kila sehemu.
あの政治家とうちの教授、近頃べったりだね、どこでも連なって行ってるよ
 
nyokaから受けるイメージとこの例文…
あまり良い連帯とは感じられないですね

汚職って、どこの国でも多いですよねぇ。
政治家と大学教授が連むような大きなものだけでなく、小役人が庶民から巻き上げる小さなものまでね。
 
それでも、ケニャもタンザニアも、近頃は、特に小役人に対しては厳しくなってきました。
 
何でもケニャには、交通警察などが chai (紅茶。賄賂の隠語)をねだっているところを撮って、すぐさまTVで流してしまうカメラマンがいるとか。
そうすると、現行犯も同じですから、処分されてしまう。
そういうわけで、最近はchai の要求はかなり減っているそうです。

 

2012年11月10日 | カテゴリー : 慣用句 | 投稿者 : nyamburra

tembea chapuchapu kama kifaru

tembea chapuchapu kama kifaru

サイのように速く歩く という喩えです。

例文;
Mzee Amani hutembea chapuchapu kama kifaru.
Amani老は、いつも速く歩く。

サイって、本当は走るの早いのに、誤解されていますよね。
この kifaru の部分を伏せて、何か動物の名を入れなさいという問題だったら、普通の日本人だと kifaru は入れないですよね。

私は一度追いかけられそうになったことがあります。
ドライバーがあわててリバースで発進させましたが、正直、かなり怖かったです。

 

2012年11月9日 | カテゴリー : 比喩表現 | 投稿者 : nyamburra

moyo; roho

moyo; roho

moyo は、臓器としての 心臓

roho は、心 や、気持ち、性格、生命 などを意味します。

例文;
Moyo ukisimama kabisa, mtu hufa.
心臓が完全に止まったら、人は死ぬ。

Roho yangu haikupendezwa na mambo hayo.
私の気持ちは、あのことが嬉しくなかった/気に入らなかった。

と、書いてきたのですが、心から というようなとき kutoka moyoni と言ったりもしますので、完全に2分割できるものでもないということで

 

miwani

miwani

ことなる二つの意味があります。

1. メガネ という意味の名詞。

2. サトウキビのあるところ、つまり サトウキビ畑 ですね。
   名詞 miwa さとうきびに、場所を表す接尾辞 -ni が付いた形です。

例文;
Jana niliipoteza miwani yangu nilipoingia miwani.
昨日私はサトウキビ畑に入ったとき、メガネをなくした。

サトウキビは、大きな畑だけでなくちょっとした場所にも植えられています。

街中でも、あるいは街道沿いでもよく売られています。
長さそのままで売っているだけでなく、30センチほどに切ったものや、中にはきれいに皮を剥いて、一口サイズに切ったものも売っています。

 試しに食べてみようという時は、小さく切ったものは、衛生面の配慮から避けた方が無難だと思います。

 

kila

kila

kila

みんな、あるいは いつでも など、全てあらゆる という意味です。

例文;
Kila mtoto aliulizwa swali moja.
どの子も一つ質問された。

Kila nilipomwangalia aliangalia kando.
私が彼をみるときはいつでも、彼はそっぽを向いていた。

kila は、辞書でみると という意味が出てくるので、その表現にとらわれすぎると、訳文がぎこちなくなるときがあります。

 

ulimi mrefu

ulimi mrefu

直訳では 長い舌 という意味ですが、慣用句としての意味は、あることないこと言いふらすなどのお喋り告げ口、あるいは 口汚い というような意味になります。

例文;
Simpendi Juma kwa sababu ana ulimi mrefu.
私はジュマが好きではない、なぜなら口汚いから。

みんなお喋りが好きで、陰口も告げ口も、それなりに好きなのに、でも、やっぱり嫌うんですよねぇ。

でも、口が悪いのと違って、口が汚いのは、本当にいやがられます。

 

2012年11月5日 | カテゴリー : 慣用句 | 投稿者 : nyamburra

chunga mtu kama ng’ombe

chunga mtu kama ng’ombe

直の意味は、ウシのように人を見張る ということで、まるでウシの番をするみたいに常時見張る 、監視するということを表します。

例文;
Babake alimchunga kama ng’ombe.
父親が、いつも彼女を監視している。

アフリカではかなりおおらかに男女交際を認めている、とお思いの方も多いと思いますが、実際はそうでもありません。 民族ごとに差もあるでしょうが、例えばタンザニアのチャガ人の場合、うちの顧問弁護士だった人の話によると、昔は、結婚前の男女に行き過ぎた行為があると、女の子の父親はその子を殺してしまうこともあったそうです。
むろん現行の法律ではそんなことは許されないのですが、昔の慣習法では、無罪、お咎め無しだったそうです。

それが許されると、今の日本、殺されちゃう娘さん、多いかも…

あまり監視しすぎるもどうかと思いますが、棄て育ちも良くないと思います。
まぁ、要は、本人がどこまで自分を律するかでしょうが。

 

2012年11月4日 | カテゴリー : 比喩表現 | 投稿者 : nyamburra

barabara

barabara

正しく、正しい、正確な、的確な などの意味を持つ形容詞、副詞で 間投詞的にも用いられます。

例文;
Uamuzi wako ni barabara.
君の決断は正しい。

Ali anajua barabara sheria za mchezo.
Aliはゲームのルールをよく理解している。

ダルにいた頃、ラジオのパーソナリティーで、この Barabara! をよく使う人がいました。

道路/道を表す barabara (名詞)とアクセントが違うのを、この人がふざけて言っているのだとばかり思っていました。

ある時義兄が使ったときも、兄がこのパーソナリティを真似て言っているだけだとばっかり

表記は同じだけれどアクセントが異なるのだと教えられたのはその夜でした。

私が「お兄さん、面白いねぇ。ラジオの真似して」と言ったので夫が説明してくれたのですが、言わなかったらそのままだったかも。

何でも口に出してみるべきですね。

 

alfajiri; asubuhi

alfajiri; asubuhi

alfajiri; asubuhi

alfajiri は、明け方から夜明けにかけての 空が白む頃 を指します。

asubuhi は、日の出から午前中一杯の を指します。

例文;
Bibi/Nyanya yangu huamka kila siku saa za alfajiri.
祖母は毎朝夜明けに目覚める

Shuleni tunaanza masomo saa mbili asubuhi.
学校では午前8時に授業を始める。

日本語では「こんにちは」と挨拶する10時、11時は、スワヒリ語ではまだ asubuhi の時間帯です。

よく質問を受けるのが、「じゃぁ、午前6時頃だとどっちを使って挨拶すればいいのですか?」 ということなんですが、この時間帯で分かれますというような境界線など無論存在しません。

起きて活動をはじめているんだから asubuhi で挨拶する人もいますし、もっと早い時間でも  asubuhi を使う人も大勢います。

一応基本的にこういう区別があるということだけを覚えておいて、相手が使ったときに柔軟に反応できるようしておけばいいと思います。

これは夕方から夜にかけての時間帯でも同じことがいえます。