kamasi; kohozi

kamasi   kohozi

kamasi; kohozi

kamasi鼻水
kohozi  は を指します。

例文;
Daktari alinieleza jinsi ya kupenga kamasi.
お医者さんは鼻のかみ方を教えてくれた。

Usimtemee mwenzako kohozi.
人に向かって痰を吐くな。

あまりきれいな言葉ではなくてごめんなさい。

でも、風邪でお医者にかかると必要になってきますよ。

マラリアは潜伏期間がけっこう長いのですが、旅行中に現地で風邪をひくことはよくあります。
マラリアと風邪は症状がよく似ているので、念のために現地で血液検査をして貰うこともお勧めです。

 

choka; chokaa

choka     chokaa

choka; chokaa

choka は、疲れる飽きる といった意味の動詞です。

chokaa は、石灰漆喰(しっくい) を指す名詞です。

例文;
Lo! Nimechoka kweli kweli.
いやぁ、本当に疲れたよ。

Ukuta wa jirani umepakwa chokaa.
お隣の壁は漆喰を塗られた。

日本では、漆喰というのは石灰を、布海苔を溶かした液で練るそうなのですが、東アフリカではなにを使うんでしょうねぇ。

おまけ;
チョーク(白墨)は chaki といいます。

例文;
Walimu huandika ubaoni kwa chaki.
先生方は黒板にチョークで書く。

 

godoro; mkeka

godoro; mkeka

godoro; mkeka
 
godoro は、マットレス を指します。
 
mkeka は、カーペットなどの敷物 を指します。
 
例文;
Mama yangu anapenda godolo la sponji.
母はスポンジのマットレスが好きです。

Akina mama hukaa kwenye mkeka.
母親たち/女性たちはござに座る。
 
カーペットに相当する言葉で zulia というもあるのですが、mkeka が一番ローカルというか、ござ、むしろ に近いものを指し、サイザル麻のものなど “工業製品” は zulia。もっと上等の絨毯 は英語でいわれることが多かったです。
 
ケニャやタンザニアで、個人のお宅に招かれたとき、靴を脱いで家にはいることが多かったです。
上等のカーペットのおうちはむろんですが、そうでなくても丁寧に床掃除 dekiされているおうちでは、みな履き物を脱ぎます。
 
私は日本人だから玄関で履き物を脱ぐのに抵抗はないですが、遠縁の英国人などはそのまま入ってしまうので、一緒に行ったときなど、ハラハラさせられたこともありました。

 

kilima; mlima

kilima; mlima

kilima; mlima

kilima丘、小山、坂道 を表します。

mlima は、 を指します。

例文;
Gali langu limeshindwa kupanda kilima.
私の車は坂を上れなかった。

Mlima Kenya ndio mlima mrefu kuliko yote nchini Kenya.
ケニャ山はケニャ国内で一番高い山です。

アフリカ最高峰はキリマンジャロ山(標高 5895m)で、ケニャ最高峰はケニャ山(標高 5199m)で、どちらも火山です。

登山の面から見ると、低い方のケニャ山の方が難しく、キリマンジャロ山の方は特にテクニックが必要なことはなく、体力のみが必要だとか。

私はどちらも登ったことがありません。
ただ、キリマンジャロは登山口まで行ったことはあります。ホテルでemoji-12お茶を飲んで戻ってきました。

どちらも、日本から装備を持って行かなくても麓で借りられるということです。

 

leso; taulo

leso   taulo

leso; taulo

ある類似語の本によると;
leso は、ハンカチ、スカーフなどを指し、
taulo は、タオル ということになっています。

例文;
Napenda kujifunga leso kichwani.
私は頭にスカーフを巻くのが好きです。

Mama ameninunulia taulo ya buluu.
母は、私にブルーのタオルを買ってくれた。

leso は、タンザニアではあまり聞いたことがなかったです。

ここで用いた本の説明では、ハンカチ、あるいはスカーフを表しているのですが、 ケニャの私の友人たちは、カンガを指します。   またケニャでは、カンガのことを shuka とも呼びます。

タンザニアでは shuka はベッド・シーツしか指さなかったように記憶しています。

ところ変われば品変わる、ですね。

 

nawa; oga

nawa  oga

nawa; oga

nawa は、体の一部分を洗う行動を指します。

oga は、体を洗う入浴するという意味になります。

例文;
Usisahau kunawa uso kila asubuhi.
毎朝、顔を洗うのを忘れないように。

Sipendi kuoga maji baridi.
冷たいお水で体を洗うのは好きではない。

ふつう、顔を洗う というときは -nawa、入浴する は-oga になるのですが、顔や手・足という一部分を洗うのにも -oga を使う人がいます。

タンザニアでは -nawa を使っていた記憶しかないのですが、ケニャでは nimeoga mguu や、sijaoga mkono という言い方も  よく使われています。

手持ちのいくつかの辞書を見てみると、-nawa では「体の “部分を” きれいにする」と書かれているものの、-oga の方は “体全体を mwili mzima/wote”という指定をせずに、ただ単に「体 mwiliをきれいにする」という表現をしているものが多いようです。

日本語でも、体と言ったとき、全体を指すのが主ではあっても、部分だけを意味することもありますね。
スワヒリ語でも同じ感覚で mwili という単語が使われるので、そんなものかなと思っています。

歯を磨く は –piga mswaki なんですが、普段の会話の中では、-nawa mdomo や –oga mdomo の方が、ちょっと遠回しっぽくって、私としては好きでした。

 

kanga; kaanga

kangakaanga

kangaホロホロチョウ という名詞、

kaanga は、揚げる炒める という意味の動詞です。

例文;
Bibi, unisimulie hadithi ya kanga na kunguru.
おばあちゃん、ホロホロチョウとカラスのお話をして。

Babangu hupendelea sana maini ya kukaanga.
私の父はレバー炒めが大好きです。

東アフリカのお土産としても人気の布、カンガの名前は、このホロホロチョウから来ているそうです。

昔の歌に出てくる ほろほろ鳥(どり) というのは、私たちがアフリカでみるホロホロチョウとは違うものです。  (ほろほろ鳥というのは、ほろほろ鳴くというイメージから作った造語だと聞いた記憶があります)

で、このホロホロチョウ、美味しいということなんですが、私はまだ食べたことがありません。
何種類かあるうちの一番地味な種類は、食べたら美味しいかなと思わせますが。

 

kanga ホロホロチョウというのが語源だとされる東アフリカの布 kanga 。
私のサイト スワヒリ語教室では、カンガの写真や書かれた言葉、着こなしのご紹介をしています。

 

leo; sasa

leo; sasa

leo; sasa

leo今日 を意味します。

sasa を指します。

例文;
Leo sikuenda shuleni kwa sababu ya homa.
今日は熱のせいで学校へ行きませんでした。

Baba atarudi sasa hivi.
父はすぐに(今すぐにも)戻ってきます。

上の例文で sasa hivi たった今 というのがでていますが、  今日を強調した言い方で leo hii hii というのもあります。

日本語にするとなんていえばいいか、、、。
なかなかこれだけを「たった今」のように言い表せませんが、、、。


例えば、もっと以前に来るはずだったのに、やっとこさ今日来た。あるいは、(昨日以前ではなく)今日着いたんだ。そんな場合だと Amekuja leo hii hii.

日本語でこの”今日”を強調した言い方って思いつかないのですが  意味は判って頂けますよね。 (^^ゞ

 

kusanya; okota

kusanya   okota

kusanya; okota

kusanya は、人や物を 集める

okota は、拾う拾い上げる

例文;
Nilikusanya nguo zangu nikazipeleka kwa dobi.
私は服を集めて洗濯屋へ持って行った。

Niliokota noti ya shilingi mia moja barabarani.
私は道で100シル札を拾った。

床に散らかった服を集める場合は kusanya で、落ちていたものを拾い上げるのは okota ですね。

ホームレスの子どもなんかが沢山いて、ごみを拾ったりしているのですが、そういうのは anakushanya とも言えるし anaokotaokota とも言えます。

 

mkubwa; mzima

mkubwa; mzima

mkubwa; mzima

mkubwa小さくない体躯の持ち主

mzima は、年齢的に成熟した人

例文;
Mbwa wangu ni mkubwa sana.
私の犬は大きい。

Mawazo ya Juma si ya mtu mzima.
Jumaの考えは大人のものではない(子どもっぽい、大人げない)

Mawazo ya huyu moto ni ya mtu mzima.
この子の考えは大人の考えである(大人っぽい、しっかりしている)。

社会的な地位が上の人を指すときの mkubwa は別として、”大人“としての表現は mkubwa ではなく mzima を使えばいいんだなってことが分かっていただけるかなと思います。

A子ちゃんとけんかしてるB子ちゃんに、 「あなたの方が mkubwa なんだから」っていう風には使えますが、  夫婦げんかしてるCさん夫婦に向かって「wakubwa なのに」とは言えず 「wazima なのに、なによ!」っていう方が正しい、ということです。