jioni; usiku

jioni; usiku

jioni; usiku

jioni は、日が西に傾く頃から日没までの 夕方 を指します。
usiku は、日没以後の を指します。

例文;
Mimi hunywa chai saa kumi na moja jioni.
私は夕方五時にお茶を飲む。

Mwezi huonekana usiku.
月は夜に現れる。

基本的に、夕方は jioni、夜は usiku なのですが、挨拶言葉として使うときは、早い時間、例えば午後3時過ぎ頃から jioni を使う人もいますし、夜に関してはかなり遅い時間まで jioni が使われたりします。

日本語の「こんばんは」という挨拶にあたる Habari za jioni? は、よほど遅い時間であるという認識の時には Habari za usiku? を使いますが、そうでなければ寝る時間まで jioni でもOKです。

パーティなどで他家を訪問するときも、Habari za jioni? です。
これは8時頃から始まるパーティーでも、あるいは遅れて9時頃についても、jioni でかまいません。

けれど、急な用や頼み事などで訪れるとき、日本語で言う 「夜分に申し訳ございません」 式の思いを込めると Habari za usiku? の方がベターだと思います。
つまり、宵の口ではない、夜だというのは分かっている、という感じです。

パーティーなどで先に帰る人などが別れ際にする挨拶も、Usiku mwema. よりは Jioni njema. の方がよく使われます。
みんなまだ楽しんでいるのだからという認識だと思います。

こういう場合、おやすみなさい のつもりで Lala salama. を使うのはあまりよくありません。
お開きでみんな帰って行くのならかまいませんが、そうでなければ 「このあともまだ楽しんでください。お先に失礼します」 という意味で 「楽しい宵を(お過ごしください)」 と Jioni njema. と挨拶します。

 

cheka; tabasamu

cheka  tabasamu

cheka; tabasamu
 
cheka の方は、おかしかったり、あるいは人をバカにして、声に出して 笑う という意味です。
 
一方、tabasamu の方は、声を出さずに 微笑む 状態を指します。
 
例文;
Unacheka kitu gani?
何を笑っているの?
 
Yasini alitabasamu alipomwona mpenzi wake.
Yasiniは、恋人を見たとき微笑んだ。
 
 tabasamu はモナリザ式なので悪意はないのですが、cheka の方は、時として諍いを招きます

 

moyo; roho

moyo; roho

moyo は、臓器としての 心臓

roho は、心 や、気持ち、性格、生命 などを意味します。

例文;
Moyo ukisimama kabisa, mtu hufa.
心臓が完全に止まったら、人は死ぬ。

Roho yangu haikupendezwa na mambo hayo.
私の気持ちは、あのことが嬉しくなかった/気に入らなかった。

と、書いてきたのですが、心から というようなとき kutoka moyoni と言ったりもしますので、完全に2分割できるものでもないということで

 

alfajiri; asubuhi

alfajiri; asubuhi

alfajiri; asubuhi

alfajiri は、明け方から夜明けにかけての 空が白む頃 を指します。

asubuhi は、日の出から午前中一杯の を指します。

例文;
Bibi/Nyanya yangu huamka kila siku saa za alfajiri.
祖母は毎朝夜明けに目覚める

Shuleni tunaanza masomo saa mbili asubuhi.
学校では午前8時に授業を始める。

日本語では「こんにちは」と挨拶する10時、11時は、スワヒリ語ではまだ asubuhi の時間帯です。

よく質問を受けるのが、「じゃぁ、午前6時頃だとどっちを使って挨拶すればいいのですか?」 ということなんですが、この時間帯で分かれますというような境界線など無論存在しません。

起きて活動をはじめているんだから asubuhi で挨拶する人もいますし、もっと早い時間でも  asubuhi を使う人も大勢います。

一応基本的にこういう区別があるということだけを覚えておいて、相手が使ったときに柔軟に反応できるようしておけばいいと思います。

これは夕方から夜にかけての時間帯でも同じことがいえます。