ili

ili

ili

~するために という意味を表す接続詞です。

例文;
Niondoke mapema nyumbani ili nisichelewe ndege.
飛行機に遅れないように早く出発しよう。

ili のあとには、接続形のセンテンスか、動詞の不定詞形が続きます。

~するために という表現は、日常生活の中でよく出てきますので、覚えて使ってください。

接続形、動詞の不定詞形についてはスワヒリ語教室 をご覧下さい。

 

nawa; oga

nawa  oga

nawa; oga

nawa は、体の一部分を洗う行動を指します。

oga は、体を洗う入浴するという意味になります。

例文;
Usisahau kunawa uso kila asubuhi.
毎朝、顔を洗うのを忘れないように。

Sipendi kuoga maji baridi.
冷たいお水で体を洗うのは好きではない。

ふつう、顔を洗う というときは -nawa、入浴する は-oga になるのですが、顔や手・足という一部分を洗うのにも -oga を使う人がいます。

タンザニアでは -nawa を使っていた記憶しかないのですが、ケニャでは nimeoga mguu や、sijaoga mkono という言い方も  よく使われています。

手持ちのいくつかの辞書を見てみると、-nawa では「体の “部分を” きれいにする」と書かれているものの、-oga の方は “体全体を mwili mzima/wote”という指定をせずに、ただ単に「体 mwiliをきれいにする」という表現をしているものが多いようです。

日本語でも、体と言ったとき、全体を指すのが主ではあっても、部分だけを意味することもありますね。
スワヒリ語でも同じ感覚で mwili という単語が使われるので、そんなものかなと思っています。

歯を磨く は –piga mswaki なんですが、普段の会話の中では、-nawa mdomo や –oga mdomo の方が、ちょっと遠回しっぽくって、私としては好きでした。

 

hangaika kama kuku …

hangaika kama kuku

hangaika kama kuku anayetaka kutaga mayai

心配する あるいは 落ち着かなく動く というような意味です。

例文;
Yule mtoto alipopotea, mamake alihangaika kama kuku anayetaka kutaga  mayai.
あの子が迷子になったとき、母親はとても心配した。

ニワトリは卵を産むとき、産み場所を探して、ウロウロとせかせかとその辺を行ったり来たりします。
そういう様に喩えて、心配して、右往左往して落ち着かない様子を表します。

その他に、忙しくする という意味もあります。

 

2012年12月7日 | カテゴリー : 比喩表現 | 投稿者 : nyamburra

chungu mbovu/chungu nzima

chungu mbovu

chungu mbovu/chungu nzima

たくさん一杯 など、非常に多い様を表します。

例文;
Magari yamejazana chungu mbovu njiani.
車が道路一杯になっている/溢れている。

最初は、なんのことかよく分かりませんでした。  悪いお鍋? お鍋一杯?? なんのことや????

お鍋とは関係なく、一盛りの山 をさす chungu なのだと分かったのは随分後でした。

でも、意味が分かってからは自分でもよく使うようになりました。
音も楽しいし、第一、上手そうに聞こえますから

 

2012年12月6日 | カテゴリー : 慣用句 | 投稿者 : nyamburra

Chini ya

Chini ya

Chini ya

~の下 という意味ですが、物理的な位置が下 というほかに、数値的な比較で下回る、誰かの指揮下監督下にある というような意味もあります。

例文;
Kitabu kimeanguka chini ya meza.
本がテーブルの下に落ちた。

Huwezi kupata maziwa chini ya shilingi mia.
100シル以下ではミルクは手に入れられないよ。

Ninafanya kazi chini ya Mzee Saidi.
私はSaidiさんの下で働いています。

日本語の感覚との隔たりがほとんどないので、解りやすい慣用句だろうと思います。

 

kanga; kaanga

kangakaanga

kangaホロホロチョウ という名詞、

kaanga は、揚げる炒める という意味の動詞です。

例文;
Bibi, unisimulie hadithi ya kanga na kunguru.
おばあちゃん、ホロホロチョウとカラスのお話をして。

Babangu hupendelea sana maini ya kukaanga.
私の父はレバー炒めが大好きです。

東アフリカのお土産としても人気の布、カンガの名前は、このホロホロチョウから来ているそうです。

昔の歌に出てくる ほろほろ鳥(どり) というのは、私たちがアフリカでみるホロホロチョウとは違うものです。  (ほろほろ鳥というのは、ほろほろ鳴くというイメージから作った造語だと聞いた記憶があります)

で、このホロホロチョウ、美味しいということなんですが、私はまだ食べたことがありません。
何種類かあるうちの一番地味な種類は、食べたら美味しいかなと思わせますが。

 

kanga ホロホロチョウというのが語源だとされる東アフリカの布 kanga 。
私のサイト スワヒリ語教室では、カンガの写真や書かれた言葉、着こなしのご紹介をしています。

 

ganda kama pande la barafu

ganda kama pande la barafu

ganda kama pande la barafu

直の意味は 氷のかたまりのように凍りつく。
唖然とする驚いてものも言えなくなる という意味です。

例文;
Alipojua ukweli, mwili wote ulimganda kama pande la barafu.
真実を知ったとき、彼は唖然とした。

泥棒にあったときって、声、出ませんよね。
まるで自分が悪いことしたみたいにすくんでしまって。

ダルのカリアコーで、車の中においたバッグを盗られたときも、夫は mwizi! 泥棒!と叫んで追いかけましたが、私は固まりました。

百貨店に勤務していたとき、接客していた相手に、目の前で10万円ほどの指輪を盗られ、そのときも足がガクガク。頭ン中は真っ白でした。

危機対応能力が低いのかなぁ。

 

2012年12月3日 | カテゴリー : 比喩表現 | 投稿者 : nyamburra

fanya juu chini

 fanya juu chini

fanya juu chini

直の意味は 上と下をする とでもいうのでしょうか。
あらゆる手段を講じる全力を尽くす のような意味合いです。

結構頻繁使われる慣用句の一つです。

例文;
Nilifanya juu chini kununua gari.
私は車を買うためあらゆる手をつくした。

命令形で Fanya juu chini. といわれることもあります。
手を尽くせ! 一生懸命やれ! ということなんでしょうが、言われてもねぇ。。。
ダイエットのために juu chini だったらいいけれど、台所の戸棚の中を kutoka juu mpaka chini 甘いものを探していては痩せられません。

 

2012年12月2日 | カテゴリー : 慣用句 | 投稿者 : nyamburra

Pole!

  

Pole!

間投詞としては;

相手が受けた災難や不幸などに対して、同情や慰めを表したり、病気や服喪中のひとにお見舞いやお悔やみの気持ちを表します。

例文;
Poleni kwa msiba wiki jana.
先週のご不幸(身内等の死亡)にお悔やみ申します。

病気の場合は、お見舞いの言葉を受ける人は単数になりますが、人が亡くなった場合は、身内親戚一同がお見舞いを受けることになるからか、その場にいるのは1人でも、 Poleni と 複数相手の表現が使われます。

 

mto

mto   mto

mto

1.

2. クッション

例文;
Mto huu haupitiki kwa sababu ya maji mengi.
この川は、水が多くて渡れない

Mama alinishonea foronya ya mto.
お母さんは私に枕カバーを縫ってくれた

寝るときの枕とソファなどに置くクッションは、同じ mto で表されます。

枕は、他人様のお家のものを見る機会は少ないですが、クッションは、お邪魔したときなどに目にします。

刺繍したものや、かぎ針編み、パッチワーク、あるいはただの袋
でも、みなさん家の中を飾るのは好きなようで、テーブルクロスやソファーカバーなど、自分で作ったり買ったりして、楽しんでいます。

刺繍のものは中国製が多いですね。ケニャ製のものは、観光客用で、逆に高かったりします。 中国製だと、結構凝った刺繍(でもミシン刺繍)のものでも、安値で手に入ります。

かぎ針あみのものは、近所の人のを請け負って編んでいるという人もいるようで、私がするレース編みの柄は、そういう人にも人気でした。
日本のように手軽にレシピ本が売っていない、あるいは輸入本で非常に高価と言うこともあって、たいていは真似て編む、という感じでした。