dondokwa na machozi : 涙が流れる
涙を流す という意味です。
悲しいときだけでなく、感激して流す時にも使います。
例文;
Satchmo anapopiga tarumbeta, watu wengi hudondokwa na machozi.
サッチモがトランペットを吹くと、多くの人が涙を流す
この例文は、後半が hu-テンスになっています。
ある特定の日時に涙を流したのではなく、常にそういう状態が起きることを表しています。
覚えて使うとスワヒリ語上級者(?)に見える
ちょっと便利なフレーズをご紹介していきます。
chana nywele;髪を梳かす
櫛などを使って髪を梳かす という意味の慣用句です。
例文;
Mimi huchana nywele asubuhi kabla ya kwenda shuleni.
私は朝、学校へ行く前に髪を梳かす
髪質によって、梳かすのが大変みたいでした。
小さな子で髪が硬い子は、梳かすと痛いのか、嫌がっていました。
上の娘が小学生、下が幼稚園の頃、隣に住む大家さんの娘さんが、上と同じ学校の最終学年だったのですが、いつも二人の髪を編んでくれていました。
下はいろんなデザインに編んでもらってくるのに、上の方は決まって mistari mistari という至ってシンプルなデザインでした。
何でかなぁって思っていたら、幼稚園はどんなスタイルでもいいけれど、学校ではこのデザインでないとだめだってあとで分かり、私が中高生の頃、髪が肩についたら三つ編みにしないといけないという校則があったのを思い出しました。
bisha hodi ; ノックする、中に入る許しを得る
ドアをノックするなどして、家や部屋などの中に入る許可を得る行動を表します。
例文;
Huwezi kuingia ndani kabla ya kubisha hodi.
ノックする前に中に入ることはできない/入ってはいけない
Hodi! というのは「ごめんください」のような挨拶言葉です。
ドアをノックする、ノックしながらHodi!という、Hodi!という、という三パターンが想像できますが、会社や事務所ではノックだけというのが多く、個人宅の玄関先では Hodi! と声をかける形が一番多いのではないかと思います。
Hodi! といわれたら Karibu! どうぞ! と答えます。
このKaribu!はほぼ反射的に出てくるので、言われたからといってすぐにドアを開けない方がいいかも知れません。
中から開けてくれるのを待つか、Karibu ndani 中へどうぞ とか、Ingia ndani 中に入りなさい/入ってください といわれるのを待つ方がベターです。
嘘か本当か、何かで読んだのですが、お手洗いのドアをノックしたら中から Karibu! と返ってきた、というような笑い話もあります。
このお話はジョークだとは思うのですが、あっても不思議ではないんですよね。
angua mayai ;卵を孵す
親鳥が雛を孵すことを指します。
例文;
Kuku wangu ameangua mayai wengi
私のニワトリはたくさん卵を孵した
ダルでもナイロビでも、家でニワトリを飼っている人は大勢います。 お肉や卵を食用にするためです。
以前ナイロビで借りていたアパートメントは、すぐ近くに小さな市場がありました。 そこではけっこうニワトリが飼われていて、雛鳥もたくさんいましたが、数がどんどん減っていっていました。
食べられてしまうから減るのですが、人間にではなくトンビに掠われて食べられるのです。
実際に獲られるところを見たことはないですが、毎日のように頭上を旋回していました。
ota kitambi ; お腹が出てくる
肥ってお腹が出てくる状態で、fanya tumbo と同じ意味です。
例文;
Tangu Maina apate kazi ile mwaka jana amekuwa akiota kitambi.
昨年あの仕事を得て以来、Mainaはお腹が出てきた。
アフリカ人=細いと思い込んでいる人も多いようですが、そんなことはありません。
男の人も女の人もけっこう肥っています。
男の人でお腹の大きな人も大勢いますが、やはり「貫禄」と取っていたりしますが、最近は健康面から、ドクターやナースから「痩せろ!」と言明される人も多いようです。
ただ、太さの基準はちょっと違うかも。(^o^)ハハハ
昨年ナイロビで、糖尿病の簡易検査を受けたのですが、糖尿病の心配はないが体重オーバーだといわれました。
でも、日本だと10キロ以上減らせといわれるところ、4~5キロ減らすようにと言う指示でした。
やっぱりケニャが向いているわ、σ(^_^)アタシ
kata kanga カンガを買う
新しいカンガを買うという意味で、カンガを切ることではありません。(^o^)ハハハ
カンガは普通2枚1組で売られていますが、観光客用には1枚ずつばら売りしていることが多いようです。
カンガには様々の言葉が書かれています。
それは、ことわざであったり、キャッチコピーであったり、何かのメッセージだったりします。
私のサイト “スワヒリ語教室” ではカンガの言葉や着こなしをご紹介しています。
kata nguo 服を買う
直訳すると 服を切るとなってしまいますが、これは 服を買う という意味です。
例文;
Kesho nitaenda mjini kukata nguo.
明日、服を買いに街に行きます
仲良しの友だちと話しているとき、Jana nilikata nguo mpya と告げられました。
当時、彼女はご主人とよく揉めていましたので、私はてっきり、けんかして怒った彼女が、新しい服を破り裂いて憂さ晴らしをしたと思ってしまいました。
そこで私は Kwa nini? なんで(なんでそんなことを) といいました。
むろん悲しそうな顔で。
そうすると彼女の方は怪訝な顔で Kuna arusi ya rafiki yangu 友だちの結婚式があるの と答えました。
私は混乱してきましたが、彼女はすぐに状況を飲み込んで、新しい服を買ったといったのよと教えてくれました。
慣用句というのは、初めて聞いても分かるものもあれば、このように説明して貰わないと判らないのまで様々ですね。
piga mhuri 許可する、承認する
直訳は 判を押す ということで、決裁してOKを出すことに繋がっています。
例文;
Maombi yangu ya pesa yalipigwa mhuri tayari.
私のお金の申請はすでに承認された
日本のように、家に宅配便や書留が届いて認め印を押すということはないです。
だから、判子、ゴム印というのはお店や会社、役所などの公的機関で使われることが中心になります。
ナイロビの街中で、段ボール箱や腰掛け程度の台を置いて、ゴム印作りをしている人をよく見かけます。
どれほど需要があるのか、またそのゴム印の耐用年数(月数?)も分かりませんが、もう何年も同じ場所にいるのですが、注文を受けているのを見たことはほとんどないですねぇ。
一度、ゴム印を作れと誘われたことがあります。
旅行者だからって、驚きません。
だって、靴磨きのおじさんからサンダルを磨かせろといわれたことが何度もありますから。
mtu baridi;自分の感情をあらわにしない人
日本語の「冷たい人」というのは、人情味にかけた人、冷淡な人、つれない人を指しますが、微妙に違いますね。
例文;
Mtu baridi ni hatari maana huwezi kuijua hali yake.
感情を表さない人は危険だ、彼の状態を知ることが出来ないから
感情を押し殺すのではなく、見せないというのは、確かに怖いですよね。
たぶん、日本人が(勝手に)イメージする “アフリカ人”からは想像できないでしょうね、こんなタイプ。
でも、こういう慣用句があるってことは、そういう人がたくさんいるってことですよ。
「陽気なアフリカ人」というイメージ、ボチボチ替えてみませんか?